voice and tuba

山本裕之《細胞変性効果》(2017)解説


山本裕之《細胞変性効果》

C.P.E.バッハ(1714-1788)が著した『正しいクラヴィーア奏法 Versuch über die wahre Art das Clavier zu spielen』第2巻(1762刊)には、アンサンブルをうまくやるコツに関する記述が少しだけ書かれている。この曲ではその部分をテキストとして原語と日本語で紹介している。また中盤からは、彼の書いた『30の宗教的歌曲集 30 Geistliche Gesange mit Melodien』第2巻(1781刊)から第7番《復活祭の歌 Osterlied》を適宜引用している。この引用部分では、ラップトップ内のコンピュータ・プログラムによって奏者の発する音にランダムなディレイがかけられ、相手方のヘッドホンに送られる。送られた側は実際の音より多少遅れて聴くことになるため、本来は明確な拍感と和声構造が示されるはずの古典音楽において、ちぐはぐなアンサンブルが発生する。つまり奏者の経験と予測力そして外的な妨害の狭間で葛藤が生ずる結果としての、不明瞭さを取り込んだアンサンブルとなるだろう。なお《復活祭の歌》は後半になると日本語でも歌われるが、googleによる翻訳のため、テキストとしての不明瞭さも増している。
タイトルの「細胞変性効果」とは、ウイルスによって正常な細胞が変形・変質してゆく現象で、電子的ディレイの影響や『正しいクラヴィーア奏法』のテキストが《復活祭の歌》に浸食してゆく様を表しているが、同時に英訳であるcytopathic effectの略語が「CPE」であることも由来している。【山本裕之】

【山本裕之 やまもと・ひろゆき】
1967年生まれ、神奈川県出身。1992年東京芸術大学大学院作曲専攻修了。在学中、作曲を近藤讓、松下功の両氏に師事。武満徹作曲賞第1位(2002)、第13回芥川作曲賞(2003)。作品は日本、ヨーロッパ、北米等を中心に演奏されている。1990年より作曲家集団《TEMPUS NOVUM》に参加、2002年よりピアニスト中村和枝氏とのコラボレーション《claviarea》を行うなど、様々な活動を展開している。Ensemble Contemporary α(東京)、音楽クラコ座(名古屋)各メンバー。現在、愛知県立芸術大学准教授。作品の一部はM.A.P. Editions(ミラノ)から出版されている。
http://japanesecomposers.info